ウォルト・ディズニー・カンパニー(英語:The Walt Disney Company、NYSE:DIS)は、アメリカ合衆国のエンターテインメント会社である。
本業の映画の製作やテーマパークの経営を中心に、三大ネットワークのひとつである放送局のABCやスポーツ専門放送局ESPN、インターネット・ポータル「go.com(Walt Disney Internet Group・旧infoseek)」などを傘下に納めるメディア系総合企業である。
ABCやESPNなどの放送局を傘下に納め、世界有数のメディア・エンターテインメント系総合企業体となっている。
会長兼最高業務執行役員はロバート・アイガー、上級業務執行副社長兼最高財務役員はジェームス・ラスロ、筆頭株主はスティーブン・P・ジョブズ・トラストである[1]。
本社はカリフォルニア州バーバンク[1]。ニューヨーク証券取引所に上場し[1]、ダウ平均株価の銘柄にも選ばれている。略称は DIS[2]。
同社のキャッチフレーズは、「我々が最上に掲げる目標は、株主価値の創造です」である[3] 。
2008年2月まで続いた次世代DVD戦争では、容量の大きさやプロテクトの強さから終始Blu-ray Discのみを支持していた。製品化に関してはBlu-ray Disc陣営でも最も、高画質化に力を入れている。
最初の経営は、1923年10月16日に、ウォルト・ディズニーとロイ・O・ディズニーの共同経営ではじまった。しかし、第2次世界大戦で会社が軍の私物となってロイは退社し、ウォルトの単独経営でなんとか映画製作は続行された。1938年9月29日に、カリフォルニア州法に基づく法人を設立し、1945年にロイが代表取締役社長として戻り、ウォルトは代表取締役会長となって再び兄弟の共同経営となる。
1966年、ウォルトが亡くなり、高齢のため引退を考えたロイはウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート計画を実現するために会社に残って社員たちを指揮した。1968年からロイは代表取締役会長となり代表取締役社長職はドン・B・テータムが引き継いだ。
1986年2月6日に「ウォルト・ディズニー・プロダクション」(Walt Disney Productions)は「ザ・ウォルト・ディズニー・カンパニー」へ商号変更し、同年11月24日に、カリフォルニア州法に基づき設立された法人から、デラウェア州法人として「ザ・ウォルト・ディズニー・カンパニー」が再設立された。
1971年にウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートが完成し、その2ヶ月後、ロイは亡くなり、ドンが代表取締役会長となり代表取締役社長職はウォルト側近のE・カードン・ウォーカーが引き継ぎ、1980年からはドンが経営執行委員会議長に、ウォーカーが代表取締役会長にそれぞれ赴き、ウォルトの長女の夫ロナルド・W・ミラーが代表取締役社長に就任した。
フロリダ建設資金のため市場へ放出した株式がソール・スタインバーグに買い集められて1984年には騒動が発生、対応を誤ったミラーは失脚した。パラマウント映画社長のマイケル・アイズナーを会長、ワーナー・ブラザーズ元社長のフランク・ウェルズを社長として迎え入れ、「奇跡」と呼ばれた発展を遂げることになる。
キャピタル・シティーズ/ABCインク買収に絡み、1995年7月28日に「ザ・ウォルト・ディズニー・カンパニー」が100%子会社としてDCホールドコ・インクを設立し、1996年2月9日に「ザ・ウォルト・ディズニー・カンパニー」は「ディズニー・エンタープライゼズ・インク」へ、「DCホールドコ・インク」はザ・ウォルト・ディズニー・カンパニーへ各々商号変更した。
[編集] 映画製作
ウォルト・ディズニー社は創業以来、多くの傑作アニメ映画を生み出してきた。世界初のトーキーアニメ、長編アニメ、カラーアニメなど歴史に残る業績を残したが、ウォルトの死後(1966年)低迷し、1990年代に再び黄金期を迎えた。復活の立役者は当時映画部門の責任者だったジェフリー・カッツェンバーグである。彼は伝統的なディズニー・アニメを再建する一方で、CGアニメ時代の到来を受けて、ピクサー社との提携を実現した。しかし1994年にカッツェンバーグはディズニーを辞職しドリームワークスの設立に関わることになり、ピクサーとも製作方針の食い違いなどから不仲になっていった(関係の悪化は当時のディズニーCEOであったマイケル・アイズナーが原因であるとの見方が強い)。ピクサーもディズニーとは『カーズ』� �最後に契約を終了する予定だったが、2005年にアイズナーがCEOを退任したことにより、関係を再び修復。そして2006年5月5日、ディズニーはピクサーをM&Aにより買収し、ディズニーの完全子会社となった。なお、アップルコンピュータに加えてピクサーのCEOでもあるスティーブ・ジョブズは、株式交換によってディズニーの筆頭株主になると共に役員に就任した。
映画製作は、ウォルト・ディズニースタジオ・モーション・ピクチャーズ・グループによって行われている。同グループにメジャーレーベルとしてはウォルト・ディズニー・ピクチャーズ、タッチストーン・ピクチャーズの2つ、インディペンデントとしてミラマックスとハリウッド・ピクチャーズ(ミラマックスは配給も含む)の4つの製作部門があり、ウォルト・ディズニー・ピクチャーズが主にアニメーション映画やファミリー向け(主にMPAAレイティングG相当)映画を、タッチストーン・ピクチャーズやミラマックス・ハリウッド・ピクチャーズが主にその他の実写映画を担当している(例外あり)。
2006年7月、ディズニーは、実写映画製作本数を年間20本ペースから12~13本ペースまで落とすことが発表された。2010年1月を以ってミラマックスも閉鎖となったが、2009年にドリームワークスとの提携を発表し、2011年から同社制作の実写作品をタッチストーンが配給することになった。
なお『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』(2006)から新しいウォルト・ディズニー・ピクチャーズのロゴムービー(3DCG)を見ることができる。
[編集] ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ
※表中の年はアメリカの公開年
[編集] アニメーション映画
「アニメーション映画」も参照
[編集] ウォルト・ディズニー・スタジオ製作
「ディズニー作品」を参照
[編集] 実写映画
[編集] タッチストーン・ピクチャーズ
「タッチストーン・ピクチャーズ」を参照
[編集] ハリウッド・ピクチャーズ
「ハリウッド・ピクチャーズ」を参照
[編集] ミラマックス
「ミラマックス」を参照
[編集] スタジオジブリ
1996年に日本のスタジオジブリと戦略的提携を結び、もののけ姫以降の長編アニメーション映画作品への出資と、アジアを除く全世界での映画配給権、日本を含む全世界でのビデオソフト販売権をWDCとウォルト・ディズニー・ジャパン(WDJ)が有している。海外配給はミラマックスまたはウォルトディズニー・ピクチャーズが行っているが、作品が再構成されるような編集は行われていない。
日本においては殆どのジブリ作品をビデオソフト化した「ジブリがいっぱいCOLLECTION」シリーズを、1998年よりWDJが「ブエナビスタ ホーム エンタテインメント」名義で発売しているが、1980年代以降のディズニースタジオ作品のビデオソフトで使われるDisney・シンデレラ城・ミッキーマウスのシンボルマークを用いたタイトル映像は挿入されず、ジブリが製作した短編タイトル映像が使われている。2009年発売の「崖の上のポニョ」からは「ウォルト ディズニー スタジオ ホーム エンターテイメント」名義となった。
[編集] テーマパーク・リゾート関連事業
ディズニーは、ウォルト・ディズニー・カンパニーにある4つの主要事業部門の1つである「ウォルト・ディズニー・パークス・アンド・リゾーツ」を通じて数々の映画を題材にして世界中でディズニーパークや、ディズニーパークのコンセプトをクルーズ船に応用した"テーマクルーズ"「ディズニー・クルーズ・ライン」や、本格的な会員制リゾートクラブ「ディズニー・バケーション・クラブ」、世界各地への体験型学習を含んだ旅行プログラムを提供する「アドベンチャーズ・バイ・ディズニー」などのリゾート施設・旅行代業を運営している。
- ※「東京ディズニーリゾート」(およびTDR関連の催事)はライセンス契約により、オリエンタルランドが経営・運営、それ以外は全てディズニー・パークス&リゾーツの子会社・関連会社が運営している。
[編集] ウォルト・ディズニー・パークス・アンド・リゾーツ
詳細は「ウォルト・ディズニー・パークス・アンド・リゾーツ」を参照